ヨガっぽい人に憧れて ~6神体解剖学 vol.4微細な心体~

【コラムINDEX】

  1. ヨガっぽい人に憧れて ~6神体解剖学 vol.1無原体~
  2. ヨガっぽい人に憧れて ~6神体解剖学 vol.2神秘体~
  3. ヨガっぽい人に憧れて ~6神体解剖学 vol.3粗大な心体~
  4. ヨガっぽい人に憧れて ~6神体解剖学 vol.4微細な心体〜
  5. ヨガっぽい人に憧れて ~6神体解剖学 vol.5身体1~(2017年7月掲載予定)
  6. ヨガっぽい人に憧れて ~6神体解剖学 vol.6身体2~(2017年9月掲載予定)

◯コラムの説明◯
今回から6回続くであろう、このコラムを簡単に説明したい。
このコラムを読んでくれているヨガ人の皆さん、これまでにヨガをしてないけど、ヨガっぽい人にあったことはありませんか?
アーサナなんて、「イタタタ!」とか言って体もめちゃくちゃかたいけど、仏みたいな人。
超ジャンクだけど、先生の話をうんうんと聞いて、先生をも満足させてあげてる母みたいな人。
私はそんな人たちを「ヨガっぽい人」とよんでいます。

私はヨガをしているけど、ヨガっぽくないなと思うことが沢山あるからトータル的にバランスとれたヨガっぽい人々に憧れます。
その憧れやら興味やらが、純粋な心の探求といりじまった結果、人間の構造を分類する「かよ哲学,6神体解剖学(仮称)」ができました。
それは、人の体は6つにわかれるという考えで、自分の生活もその哲学や形而上学が柱になっています。

丁度6つあるから・・・コラム6回だから・・・一つづつ紹介しつつ、私のヨガっぽい人を目指すヨガらいふを紹介していくことにしています。

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◯微細な心体(びさいなしんたい)◯
【微細な心体(びさいなしんたい)】
・6神体解剖学のうち自分で見えない、わからない、あるいは制御できそうにない心のこと
・類似のスピリチュアル用語:マナス・アハンカーラ・ブッディ、無

今日は前回の粗大な心体のさらに微細な心についてコラムを書いてみます。
おさらいにこのイラストを掲載☆

意識

顕在意識:普段の自分の行動を形成している大切な心(記憶・思考・感情)
潜在意識:普段の自分の行動を形成しているあまり大切ではない心(記憶・思考・感情)
     あるいは大切過ぎたり、覚えていると耐えかねるような心(記憶・思考・感情)
無意識の集合体:全人類が共通でつながる心のフィールド・無・前世
前回LINK:http://yin-yang.jp/column/20170323kayoko/
微細は心体は、潜在意識から無意識の集合体までのフィールドをさします。
私たちの記憶の中の大部分をしめていて、”普段”自分からはアクセスできません。
微細は心体は、私たちの人格・性格を作っている核であり変えることができない”真実”が含まれています。
微細は心体は、宇宙と同じでどこまでも無限であり、私たちの原子がそこにあるものです。
私個人の意見としては、あるかないかわからないものであって、私たちの存在意義と同様の存在と思っていてとても重要でとても無意味という背反する矛盾の原点だと考えています。

さて、皆さんは瞑想にいくつかの種類があることを知っていますか?
そしてなぜここで瞑想がでてくるかというと、微細な心体は瞑想によって調整するのが一番効果的だからです。
微細な心体の中にある”真実”は変えることができません。
だから粗大な心体から新しい真実を足すことと、微細な心体をコントロールすることが必要になってきます。

有名な言葉で説明を加えてみます。ヨーガ・スートラ第1章2節目より
◯YOGAS CHITTA BRITTI NIRODHA.
簡単に訳すと
◯ヨーガは、チッタ(様々な心)のブリッティ(動き)を二ローダ(コントロールする)こと

私は、サーンキヤ理論のチッタの意味が複雑すぎて難しいので、粗大な心体と微細な心体とわけています。(完璧なイコールではないはずですが。)
チッタ=粗大な心体と微細な心体
こう考えるとチッタには自分でコントロールできるチッタとできないチッタがあるのでコントロールの方法を変える必要があります。
つまり心全体をコントロールするためには異なる瞑想の種類が必要、あるいは瞑想だけでは難しいということです。

微細な心体の瞑想は、動かさないというコントロールが必要です。
私はこれを”無の瞑想”と定義しました。
【微細な心体の調整法=無の瞑想】
やり方や他の瞑想法についてはここでは省略しますが、とっても簡単です。

無の瞑想が、どのように役立つかを、例えば「よく怒る場面がありそれを止めたい」というのを仮定して説明してみます。

①心のパターンからくる怒ってしまうシチュエーションを作らない
②怒らない

■これらを実行する。という時に”無の瞑想”が役立ちます。
■①は心を動かすイメージをして実行します。(無の瞑想ではありません。)
 その時、イメージだけにとどまらず実際に行うところまでできるのは、無の瞑想によって助けられるからです。
■②の場合、無の瞑想が役立ちますが、
 ①を一緒にしてやらないと、心が疲弊して結局うまく効果をだせない、同じことを繰り返す、そしてムダなストレスがたまっちゃいます。そんなの嫌!😭

長々と講義的な内容を書いたのだけれど、個人的なことを書いておきます。
私がヨガを始めたてでスートラを読たてほやほやの時は、
だただやみくもに悪い心を動かさず良い心を動かすようにだけしていました。
その時は対人においてはいい人なんだけど、一人になるとすっごく疲れる・・・。というジレンマにおちいってました。
やみくもに”ありがとう”を言っている。やみくもに”ベジタリアン”やみくもに”怒らない(ふりをしていた)”
なんてやみくも行動が多過ぎて、疲労困憊。その内スートラはおかしい。なんて思ったりしたりしてました。

私は人より感情の起伏がある方だと思います。
そのコントロールもかねてヨーガを始めました。始めた頃は普通の人より感情的なヨーガの人だったと思います。
今は普通の人と同じくらいなヨーガの人でしょうか笑
やはり周りにはヨガぽい人がヨーガしていない人が沢山いますので、まずはそこまでが私のゴール。
だから、私は毎日どこかで瞑想をしています。
無の瞑想とそれ意外の瞑想をします。

朝起きた時、隣で寝ている娘に瞑想します。
自信がない時、尊敬する偉人に瞑想します。
心が疲れている時、自然の緑や水に瞑想します。
無と繋がるために、これらの瞑想の後に静か心に瞑想します。

時間は限りなく短いです。
したつもりの瞑想もあります。忙しい時はほとんどがそうです。
だけど、そういう瞑想をしていることに気づいている自分がすでに以前までと違うことを知ってるからまあよしとしています^^

知識はぎっしり。だけど心はまだまだ練金中です。

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ヨーガは瞑想ありき♡